otaku-tokyo

 

Hapiness

偏差値教育によって失ったもの

幼少時代の習い事や中学受験、大学受験を経験し、幼いころから今に至るまで偏差値教育に慣れ親しんできた私は学歴と引き換えに大切なものを失いました。

それは自身の努力を評価する気持ちです。

他人と比較し、他人より優れていることが評価される偏差値教育においては、結果に表れない自身の努力は評価されません。

少し前までの自分はそれが当たり前だと思ってきました。

しかし今は、他人との比較という表面的な価値に縛られず、自身の努力に価値を見出すことが幸せにつながると思うようになりました。

他人との比較は、比較する対象によって満足度が変わるため、とても不安定なものだからです。

デジタル化によって失ったもの

小学校後半から親と連絡を取るためにガラケーを持たされました。

当時はガラケーを使ってゲームをしたり、ネットサーフィンすることはありませんでしたが、中学、高校に入るとパソコンやスマホを使って遊ぶ時間が圧倒的に増えました。

家に帰ってパソコンしている時間の方が友達と遊ぶ時間よりも楽で楽しかったので、学生時代はあまり友達が増えませんでした。

このように幼いころからデジタル機器に触れてきた私は、デジタル機器で遊ぶことを優先し、他人と遊ぶことが減った結果、コミュニケーション能力が著しく低下しました。

コミュニケーション能力はいろいろな場面で必要になりますが、ストレスを発散させるのに他人に愚痴を言ったり、怒こりたい場面で怒るのにもコミュニケーション能力が必要です。

コミュニケーション能力がないと他人の気持ちを推し量れない為、愚痴を言ったり怒るのに躊躇してしまうからです。

かくいう私もコミュニケーション能力がないため、他人との会話でうまくストレスを発散させたり、感情を表に出すことが出来ずにいます。

「愚痴を言ってもどうせ聞いてもらえないだろう、共感してもらえないだろう」「怒って他人に嫌われたくない」などと考えてしまうのです。

日本人の幸せ度が低い理由

「あなたは幸せですか」という質問に対して、Yesと答える日本人が少ないのも同じ理由だと思います。

偏差値教育とデジタル化の普及です。